ご主人の宇崎竜童さんとパートナーを組んで
数多くの作詞を手掛けてこられた阿木燿子さん。
その数、なんと1000曲以上。
今回は阿木燿子さんと山口百恵さんとの関係について
調べてみました。
プロフィール
阿木燿子 あき ようこ
生年月日 1945年5月1日
出身地 神奈川県横浜市
学歴 明治大学文学部卒業
活動期間 1969年~
大学時代に後に夫となる同学年の宇崎竜童(法学部)と出会い
軽音楽部に入るよう声をかけられた。
作詞をするようになったきっかけ
宇崎さんは学生の時から自身が作る曲のために
詩をかいてくれと誰彼構わずに頼んでいて
阿木さんにもその依頼がきていたそうです。
その後2人は26歳で結婚。
結婚2年目にして宇崎さんが歌手デビューすることに。
ダウンタウンブギウギバンドのアルバムを出すのに
曲が足りないから書いてくれと頼まれ書いた曲が
『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』でした。
当時、子供だった私はこの歌を聞いたとき
こんな歌聞いたことない!この人たちは不良?
変なの!でも面白い!
途中でセリフ言うの恥ずかしくないの?
といろんな思いが駆け巡ったのを覚えています。
「アンタ、あのこの何なのさ」というフレーズは
当時の流行語にもなりました。
そしてこれが作詞家・阿木燿子のデビュー作にして大ヒットに
なったのです。
山口百恵との出会い
1976年2人のもとに突然、山口百恵に曲を書いてもらえないか、
そしてそれは百恵さん本人の希望らしいという噂も耳に入ってきたそうです。
当時のアイドルは、事務所のいいなりで自己主張なんて許されない時代でした。
なので本人が曲を書いてと言ってくるわけがないと全く信じていなっかたそうです。
2人への発注はアルバム用に3曲ほど書いてほしいというものでした。
その後、曲が完成しましたが、収録されるはずだったアルバムに
2人で相談して作った「横須賀ストーリー」がなぜか入っていませんでした。
ああ、没になったんだなと思っていたそうです。
作った曲が採用されないこともあるって厳しい世界ですね。
しかしある日、「横須賀ストーリー」が新曲としてシングルで発売されると
連絡が来ます。
よかったですね。
百恵さんの歌う横須賀ストーリーは阿木さんの想像以上に大人っぽい仕上がりで
チャートの1位になっただけでなく百恵さんをアイドルから大人の歌手へと導く
一曲になりました。
「百恵さんと出会えたのは作詞家冥利に尽きますね」と阿木さんは言います。
現在の関係は?
出会いから40年以上経った今でも年に1~2回は宇崎夫婦と三浦夫妻は
食事に行く仲が続いているそうです。
素敵な関係ですね。
百恵さんの息子の祐太朗さんも宇崎夫婦が手掛ける舞踊劇に参加したことも
あるようです。
親子2代でつながっているのですね!
まとめ
阿木燿子さんはご主人のバンドの作詞でデビューされ
その後山口百恵さんの作詞を手掛けたことが
阿木燿子さんにとっても山口百恵さんにとっても
ターニングポイントとなりました。
現在も家族ぐるみでのお付き合いは続いているようです。